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History

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ベルビューの歴史

イーストサイド・ヘリテージセンター提供

 

ベルビューは1953年に市として認可されましたが、開拓の始まりは1863年にまで遡ります。以下に記された歴史は、開拓時代から農業の中心地となり、1950年代にはシアトル郊外として成長、1990年代以降はビジネスの中心地として台頭していったベルビューの発展のあらましです。 

参照記事(英語):

 

古のベルビュー・ウォーキング・ツアーに参加

イーストサイド・ヘリテージセンターは、24か所の史跡を巡りベルビュー初期の歴史を探訪するセルフガイドのツアー、古のベルビュー・ウォーキング・ツアーを、一般向けに提供しています。このツアーはNE8番街とベルビューウェイの交差点から出発し、ダウンタウン・パークに向かって南下した後、西側の水辺沿いのメイデンバウアー・ビーチパークへ行き、最後にオールド・ベルビュー方向に北上していくメインストリート沿いの史跡を巡ります。

古のベルビュー・ウォーキング・ツアーのパンフレット(英語)は、こちらからダウンロードしていただけます。また、ご希望の方には印刷されたパンフレットもありますのでお気軽にお尋ねください。

ツアーに関する詳細は、イーストサイド・ヘリテージセンターまでお問い合わせください。

 


 

歴史

1860年代

1863年、シアトルがまだ泥道と散在する家屋しかない荒れた街だった頃、初期の開拓者たちがワシントン湖を渡り、現在ベルビューと呼ばれる土地の所有権を主張し始めました。最初に土地の所有権の主張をしたのはシアトルの有名一族出身のアーロンとアン・マーサー夫妻で、現在のマーサー・スラウに沿った80エーカーにおよぶ土地に杭を打って仕切りを作ったと言われています。1869年までに、アーロンとアンはその土地に移り住んでいます。そしてその同年には、シアトルのパン焼き職人ウィリアム・メイデンバウアー氏が、後に彼の名を冠することになった湾の周辺地の所有権を主張、獲得していきます。

1870年代と1880年代には、さらに移住者が増えました。この時期ほとんどの地域で森林伐採が行われ、開かれた土地は果樹園、野菜畑、イチゴ畑になりました。急成長していたシアトルは生鮮食品を必要としており、それをベルビューが供給していました。定期フェリー便が1880年代から運行されるようになり、シアトル市場は、レスキとマディソンパーク地区を通して、ベルビューのイーストサイド・コミュニティ水路でつながることになりました。ほとんどの農家には子供がいましたので、丸太小屋でできたベルビュー初の学校が1883年にエナタイ地区に開校されました。

1900年、ベルビュー広域圏の常住人口が約400人になった頃、文明開化の時代が到来します。1907年にはイーストサイドまで電話回線が引かれ、メディナとベルビューには何軒かの商店が開店し、1913年にはレスキからのカーフェリーが就航と大きな変化を遂げます。フェリーはシアトルのレスキ港を15分毎に出発し、メディナとメイデンバウアー湾に寄港しました。

20世紀初頭、ベルビューと周囲のコミュニティは少しずつ成長し、1920年の国勢調査によると住民数は1,500人と記録されています。1919年には米国太平洋捕鯨会社が本社をベルビューに移転し、冬季間中、捕鯨船をメイデンバウアー湾に停泊させていました。第一回ストロベリー・フェスティバルは1925年に開催され、湖の対岸から3000人ほどの集客がありました。このお祭りは毎年恒例のイベントとなり、ベルビューは平和で快適な農村として知られるようになりました。

 

1940年代

この時代に全てが変わっていきます。高精度な技術の賜物ともいえるマーサー・アイランドの浮き橋が1940年に開通したため、フェリー便は打ち切りとなり、シアトルまで車やバスでの移動が今日と変わらないくらい迅速なものとなりました。。ベルビュー商工会議所の広告キャンペーンや安価な土地のおかげで、戦後の住宅建設ブームが押し寄せてきて、ベルビューは大きく生まれ変わりました。新しい高速道路沿いのイーストゲートやニューポート・ヒルズ、レイク・ヒルズ地区は新分譲地として売りに出され、戦地から帰ってきた兵士とその家族に魅力的で良心的な価格の住宅物件を提供することとなりました。

 

1950年代

1953年、人口5940人に達したベルビューは、三級都市に指定されました。その後、新興住宅の建設や他地区との合併などによりベルビューはさらに成長し、1970年に人口は6万人にまで増加しました。

人口増加は小売り業に顧客基盤を提供していきます。1946年、ケンパー・フリーマン・シニア氏がベルビュー・スクエア・ショッピングセンターをオープンし、核テナントとしてベルビュー劇場を迎えました。続いてイーストゲート、ニューポート・ヒルズ、レイク・ヒルズ、ノースタウンなどの地区も人口増加に伴い、それぞれに近隣型ショッピングセンターをオープンさせていきました。クロスロード・ショッピングセンターは1960年にオープンし、同じ60年代にはベルビュー初の大規模小売店がオーバーレイクに開店しました。

【動画】ワシントン州ベルビュー: 橋を超えた優雅な暮らし

 

1970年代~1990年代

第二次大戦から1970年までの時代が「優雅な暮らし」だったとしたら、1980年代以降から現在は「ベルビュー=ビジネスの中心地」の時代です。1970年代まではピュージェット電力ビル(1956年建設) と108番街にあるいくつかの地味なオフィスビルがビジネスの中心でした。「ボーイング・バスト(ボーイング社による大量解雇)」が起こり、シアトル住民はワシントン湖を挟んだ東側で仕事を探すようになりました。

パッカービル(1967年建設)に続いて、より高いビルが何棟か108番街沿いに建設され、1980年中ごろまでにはダウンタウンベルビューにスカイラインができました。同じ頃大規模なオフィス複合施設がファクトリアとイーストゲート間のインターステート90号線沿いにでき始めました。

 

2000年代から現在

2000年を迎える頃にはベルビューは住民数より多い雇用があり、ベッドタウンとしての役割を終えたと言えます。マイクロソフト社は、2000年代に建てられた新しいダウンタウンのオフィススペースの大部分を吸収して、市最大の雇用主となりました。2007年から2009年の間の開発は、ベルビューの小売り、商業、および不動産の分野で新しい大ブームを巻き起こしました。ブレイバーン複合用途開発は、当時行われた重要な開発プロジェクトのひとつです。

もしこれらの開発がベルビューに住むことを選んだ素晴らしい人々のためでなかったら、これほどまで興味深いものにはならなかったでしょう。かつてのシアトルも、たくましい開拓者たちが開墾するまでは荒れた土地でした。農業を営む日本人移住者がほとんどの土地を開墾し、第一回目ストロベリーフェスティバル開催用のイチゴを用意しました。第二次大戦の退役軍人達がもたらした都市成長の第一波は、後に世界中からやってくるマイクロソフトの社員によって置き換えられました。アメリカ合衆国国勢調査局によると、ベルビュー人口の三分の一以上はアメリカ国外出身者です。140年余りの歴史の中で、ベルビューは森林から畑、郊外、世界的な都市へとの変遷を遂げてきました。開拓時代初期から現在に至るまで、いつの時代でもベルビューは、住むにも働くにも来訪するにも最高の場所であり続けています。

 


 

イーストサイド・ヘリテージセンター

Eastside Heritage Center

 

イーストサイド・ヘリテージセンターは、2001年にベルビュー史学保存会(1986年設立)とメリームーア・イーストサイド歴史博物館(1965年設立)が合併し設立されました。3万点を超える収蔵品、数千点の歴史的写真、膨大な記録史料のコレクションを持つイーストサイド・ヘリテージセンターは、東キング群最大の歴史文化団体のひとつです。イーストサイド・ヘリテージセンターは、このコミュニティを形成した人々、場所、組織とのつながりを保護・保存し、一般に公開しています。

 

史跡のご案内

F.W.ウィンターズ邸

住所:2102 Bellevue Way SE, Bellevue

国家歴史登録財に登録されているウィンターズ邸は、フレデリックとセシリア・ウィンターズ夫妻により3万2千ドルをかけ、1929年にミッションリバイバル建築様式で建設されました。この家は、かつて肥沃な花卉栽培地や農地であったマーサー・スラウ自然公園のほとりにたたずんでいます。スペイン建築の影響を受けたこの歴史的邸宅を探索し、ベルビューのルーツを学ぶことができます。

  • 営業時間:2025年末まで一時休館 
  • お問い合わせ:イーストサイド・ヘリテージセンター
    電話:425-450-1049
    メール:info@eastsideheritagecenter.org

Unincorporated-WM

体験型歴史プログラムに参加

フレイザー・キャビン・ヘリテージ・デイズ

夏季、開催日時詳細未定
開催場所:ケルシー・クリーク・ファームパーク内1888フレイザー・ログキャビンにて(住所:410 130th Pl SE, Bellevue)

イーストサイド・ヘリテージセンターは、年齢を問わずすべてのファミリーに歴史を感じていただける無料の体験型教育プログラムを、ケルシー・クリーク・ファームパーク内の1888フレイザー・キャビンにて開催しています。参加者は、フレイザー・キャビンとツインバレー・ファームにまつわる物語を学び、トウモロコシ挽き、バター作り、卵集め、パン生地こね、洗濯、ログキャビンの建て方など、1880年代の初期開拓者の生活を体験できる参加型のアクティビティをお楽しみいただけます。

詳細は、イーストサイド・ヘリテージセンターのウェブサイト(英語)をご覧ください。

 

ベルビュー工業時代を探る

古のベルビュー・ウォーキング・ツアー

スカイラインを描くガラスの高層ビルや買い物客で賑わう通りができる前、ベルビューは泥道と家屋が散在する静かな田舎町でした。最初の開拓者は、1860年代にシアトルからワシントン湖を渡って来ました。イーストサイド・ヘリテージセンターが主催する古のベルビュー・ウォーキング・ツアーで、ダウンタウン・ベルビューに散りばめられた歴史を発見してください。

ツアー開催の日程、その他詳細は、イーストサイド・ヘリテージセンターまでお問い合わせください。